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tominaga: 2008年2月アーカイブ

第214偈

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From sensual attachment arises grief, from sensual pleasures arise fear. For one set free from sensual attachment, there is no grief. Whence fear?


愛欲から憂いが生まれ、愛欲から恐れが生まれる。愛欲から脱せる人には憂いはない、どこからも恐れはない。

第213偈

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From affection springs grief; from affection springs fear. He that is free from affection neither sorrows nor fears.


愛着から憂いが生まれ、愛着から恐れが生まれる。愛着から脱せる人に憂いはない、どこからも恐れはない。
護法少女ソワカちゃんに、「慈悲の冥想」の読経をお願いしてみました。
いきなり長いのは厄介なので、今回はショート・ヴァージョンにチャレンジしていただきました。
ご興味のある方は、こちらへどうぞ!

第212偈

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From thought of one that is dear, arises sorrow; from thought of one that is dear, arises fear. He that is free from thoughts if dear ones neither sorrows nor fears.


愛から憂いが生まれ、愛から恐れが生まれる。愛から脱せる人に憂いはない、どこからも恐れはない。

第211偈

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Therefore, one should hold nothing dear; separation from loved ones is painful; there are no fetters for those who neither love nor hate.


それ故、愛することなかれ! 実に愛者との別離は悪しきことなり。愛も憎もない彼には、[苦の原因である]繋はない。

第210偈

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Do not associate with those who are dear, and never with those who are not dear to you; not seeing the dear ones is painful, and seeing those who are not dear to you is also painful.


愛する人々に会うことなかれ、決して憎い人々に会うことなかれ。愛する人を見ざるは苦なり、又、憎い人を見るは苦なり。

第209偈

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He who does what should not be done and fails to do what should be done, who forsakes the noble aim of life (morality, concentration and insight) and grasps at sensual pleasure, covets the benefits gained by those who exert themselves in meditation.


自ら不適当なことに努力する、あるいは適当なことに努力しない。[このように]利益を[得ることを]捨てた、[還俗の]所愛の補足者たちは、[頭陀行など]自分のために努力する人[=比丘]を羨む。
ここのところこのブログも更新していなくてすみません。
なぜ、こんなことになっているかと言いますと、
自宅のデスクトップPCが壊れてしまったからなのです。

私の場合、Eee PC、そして、MacBook Airも持っているわけですけれど、
MacBook Air は HDD が Apple Store に届き次第、
交換していただくことになっているため、
今のところはあまり使っていないのです。
Eee PCは、画面が狭いので、
プロジェクターに繋いで使おうとしたりもするのですが、
キーピッチが狭くて入力し難いのと、
これもまたデスクトップPCと同様に引っ越しの際の衝撃が原因なのでしょうけれど、
どうも調子がよくないのです。

mixiとかはケータイからチェックしたりもするのですが、
ケータイからメッセージやコメントを書くのは私にはできんのです。
ケータイでの文字入力は、非常にストレスがたまります。

そんなわけで、職場の環境からでないと、
長めのメールとかは読み書きできなくて、
音信不通っぽくなってしまっております。

引っ越して一週間になりましたが、
まだまだ部屋も片付いていない状況です。

が、近所のお寺(ゴータミー精舎)へは冥想をしに行っています。
朝のお勤めに参加するために、
4:40くらいには起きる生活にしているため、
夜は早目に寝ています。
9:30に来るはずのケーブルテレビの業者(イッツコム)は時間通りには来なかった。
電話してみると、明日の現場に向かったとのこと。
ひどいもんです。
10:45くらいにやっと到着。
ドアを開けると、許可も無くいきなり中に手を入れてくるし、
「えっ!? 東京なのに!? なんで!?」
と思ってしまいました。

起動しなくなったデスクトップPC、何回かチャレンジしたところ、起動できました。
けれど、HDDから異音がするので、怖いです。

さらに、壊れてしまったモノが出現。
プロジェクターです。
私はこのプロジェクターを使って白い壁に投影し、海外ドラマとかDVDを観るのですが、
これもまた参りました。保証書どこだろう。まあ、保障期間は過ぎているけれど。
他にも引っ越しに起因して壊れたものはまだまだ出てくるんだろうなぁ。

今日の午後は東京大学に行きました。
P2P関連のシンポジウム。

その後は新宿の東京ハンズに行って、必要なモノを物色しましたが、
サイズ不明のため、何も買わず。
最寄の駅に隣接している100円ショップでお風呂用・洗濯用のモノなどを調達。

夜は瞑想会に向かい、その後は、HEROESを観ました。

明日は出社して打ち合わせ。

洗濯をしたいけれど、まだ着手できず。
片付け&壊れていないかどうかのチェックもしておきたいし。

ダンマパダを綴っていくのも、はやく再開したいところです。
まず、東京都渋谷区に転入しました。

9時からダンボール等を部屋の中に運んでいただき、中身を出して設置とかしています。今も。
完了するやら。
しかし、デスクトップPCが壊れました。HDDから変な音がして起動しません。
他にも引越関連で不具合が生じたものがないか調べてみて、引越業者に連絡しないと。
引越の際には毎回何かは壊れるなぁ。
HDレコーダーの確認もしておかないとな。

今日は靴下を何回取り替えただろう。
スグに真っ黒になっちゃうし。

そういえば、トイレでの水漏れもあったので、不動産店経由で修理もしていただいた。

洗濯物は屋上で干すよう管理人さんに言われたので、とりあえず屋上に行ってみた。
富士山、東京タワー、サンシャイン60、こんなに景色がいいとは!

ネットは開通し、明日の朝にはCATVが見れるようになる。
これで明日の夜はHEROESもちゃんと見れる。ヤッター!

買うものも捨てるものもまだまだいろいろありそうだし、
部屋が落ち着くのはいつだろう。
今日はこんな日でした。


9:30過ぎ、大手町のホテルを出る。徒歩で秋葉原へと向かう。

ソニー サービスステーション秋葉原に到着。デジカメ「DSC-U1」を預けた。「撮影した画像は見れるけど、撮れない」という状態になっていたため。が、これは電池の問題だったっぽい。この問題とは別にCCD不良もあるようなのでその無償交換をしていただくために預けました。

先週届いたばかりのMacBook Airの動きが遅くなり(FirefoxでWebブラウジングしかしてないのに、すごく動作が鈍くなった)、ディスクユーティリティを使ってみるとフリーズしたので、HDD故障の可能性が考えられたため、アップルに電話し、Apple Store, GinzaGenius Bar の予約をし、向かう。
HDD故障っぽいが、まだ、MacBook Airの交換用HDDは出回っていないそうで、暫定的にFirefoxのフォルダを別の場所に移動し、新たにfirefoxのフォルダを作ったところ、それで動作が速くなったので、HDDのFirefoxのキャッシュが格納されている部分の損傷があったものと思われる。そして、HDDが届き次第、交換していただく手筈も整えていただいた。保証書を持っていなくても、ちゃんと対応してくださるアップル。素晴らしいです。ついでに住所変更の手続きもしていただいた。
しかし、銀座は東京マラソンの関係で人ばかりだった。私の頭の中では、特撮の「マリリン・マラソン」がヘヴィー・ローテーション。マリリン・マンソンのtypoではなくて、マリリン・マラソンで正しいです。

国立新美術館で開催されている「文化庁メディア芸術祭」へと向かう。
なんだか目が回るので、スピーディーにスルー。

千代田線で代々木上原まで移動し、そこから徒歩で幡ヶ谷の不動産店にもう1つの鍵をいただく。

西原商店街の「スパイス」というお店でカレーをいただく。本当においしかった。量も多い。

明日、転居となるマンションへと向かう。
部屋の中の最終確認をし、ガス開栓の手配の電話を入れる。
電気は日曜は対応していないみたいなので、明日、電話。まあ、使えている状態なので特に問題なし。

書店に立ち寄ってからホテルに入る。

本日(2/16)、大阪府吹田市を転出してきました。
今は、東京・大手町のホテルに滞在中です。
ここのところメールのやりとり等もできてなくて、一部の方々にはご迷惑をおかけしております。すみません。

ここのところの私の引っ越し以外の活動をちょっとメモっておきます。
現時点で明確になっているもののみ。

M 0130 熱海・仏法学舎での冥想合宿
M 0131 熱海・仏法学舎での冥想合宿
M 0201 熱海・仏法学舎での冥想合宿
M 0202 熱海・仏法学舎での冥想合宿
M 0203 熱海・仏法学舎での冥想合宿
N 0207 第10回テレビとネットの近未来カンファレンス
N 0208 VoIP Conference 2008
M 0211 アラナ精舎の瞑想会
0216 大阪府吹田市を転出
0218 東京都渋谷区に転入
N 0219 P2Pネットワーク実験協議会シンポジウム
N 0222 ブロガー勉強会
M 0223 @聖蹟桜ヶ丘只見瞑想の会
N 0229 情報共有(P2P)研究会

M: Meditation, N: Network
私は今、刑期を終えて東京に戻る。そんな感じの状況です。
刑期という表現は誤解を招くかも知れませんが、別に犯罪を犯したわけではありません。
心理的にそんな印象があるだけです。これもまた業の関係でしょうけれど。

2004年8月に東京から京都に引っ越した私。
明後日(2008年2月16日)には大阪府吹田市を転出し、2008年2月18日には東京都渋谷区に転入します。
(2007年9月〜2008年2月の半年弱だけ吹田に住んでいました)

一方、はてなは、2004年4月に東京に移転し、2008年4月に京都に戻るそうで。

気になるなぁ。一方的ですけれど。

http://hatena.g.hatena.ne.jp/hatenapress/20080214/1202969302

第208偈

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Therefore, one should follow the steadfast, the wise, the learned, the patient, the dutiful, the Ariya; follow a man of such virtue and intelligent a man, as the moon follows the starry path.


実にそれ故に、賢く、智慧があり、多聞で、戒律の[重荷を]背負い、忍耐強く、まことに[頭陀行などを]修行する[悟りを得た]聖なる人、そのようなより賢き善人に、星の軌道に月が[従う]如く、親近せよ。

第207偈

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He who walks in the company of fools has to grieve for a long time. Association with fools is ever painful, as with an enemy; happy is association with the wise, as with meeting relatives.


実に愚者たちと共に行ずるは、長い時間愁う。まこと愚者との共住は、敵と常にいるが如く、苦痛である。[しかし]賢者との共住は、親族と同居するが如く、安楽なり。

第206偈

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It is good to see the Noble Ones (Ariyas); to live with them is always a pleasure; not seeing fools, one may ever be happy.


[悟りを得た]聖者たちを見るは、善きことなり。[聖者たちとの]共住は、常に安楽なり。愚者たちを見ざるは、常に安楽であろう。

第205偈

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He who had tasted the sweetness of solitude and the sweetness of tranquillity (of Nibbana). Such an one is free from fear and free from sin, for he drinks the sweetness of the joy of the Dhamma.


遠離を味わい、[涅槃の]寂静を味わい飲む。[このように]法喜を味わい飲む人は、苦悩なき無悪の[人]である。

第204偈

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Health is the greatest gain; contentment is the greatest wealth; a trusted friend is the best relative, Nibbana is the greatest happiness.


無病は最高の利得なり、知足は最高の財産なり。信頼[できる友人]は最高の親族なり、涅槃は無上の安楽なり。

第203偈

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Hunger is the greatest afflictions, the five khandhas are the greatest sufferings. The wise, knowing them as they really are, realize Nibbana, the greatest happiness.


飢餓は最大の病気なり、五蘊は最大の苦なり。これを如実に知りて、[賢者は]涅槃という無上の安楽を[得る]。

第202偈

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There is no fire like passion; there is no trouble like hatred; there is no sufferings like (the burden of) khandhas; there is no happiness that surpasses the Perfect Peace (i.e., Nibbana).


貪欲にひとしい炎はなく、瞋にひとしい不運はない。[五]蘊とひとしい苦はなく、[涅槃の]寂静以上の安楽はない。
・幡ヶ谷のマンションの大家さんにお会いした
・マンションの鍵を受け取った
・なぜか既に郵便物の転送がはじまっていて、既に郵便物が届き、管理人さんが戻したという事態が!
  2/15から転送開始として申請したのに、吹田の郵便局はいったい何を
  ひとまず代々木の郵便局へと向かい既に転送されてきている郵便物を受け取った
  マンションの管理人さんの配慮で、入居以前に届いた郵便物も受け取っていただけることになる
・スカパーのアンテナは設置できないので、イッツコムに入る手続き
・Bフレッツ・マンションタイプが入っているマンションなのでプロバイダを選定
  イッツコムの申込書の一式に「かっとびFTTHフレッツ」というのが1323円/月であったので
  これの手続きを開始するが、入居日から使えるかどうかが謎だったが宅急便を駆使しOKとなる
  NTTからは入居日から使えるプロバイダを教えてもらってはいるが
  今回、固定電話は「ひかり電話」にすることにした
・MacBook Airが届いていたので、それを使いはじめる(この文もMacBook Airから書いています)
  Micro-DVI to VGA Adapterは、最初からオマケとして付いていたことを知る。買わなくてよかったのか
  SuperDriveは、USB接続だったので「これってEee PCに使えないか?」と思い接続したが使えませんでした
・今日はこれから部屋の片付け等をはじめ、明日は瞑想会に参加できるようにしたい
・メールのやりとりもいろいろとたまっていることが予想されますが、当分、返信等は遅れそうです

第201偈

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Victory begets enmity, the defeated dwell in pain. Happily the peaceful live, discarding both victory and defeat.


勝利は[敗者の]怨みを生じ、敗北せる者は[悔しさ]に苦しみて臥す。勝敗を捨てた人[=阿羅漢]は、寂静にして安楽に臥す。

第200偈

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Happy indeed we live, we who have no impediments. Feeders of joy we shall be, like the Radiant Gods.


何一つ障碍が無い故、[私たちは]実に幸福に生きる。天界の発光天の如く、喜悦を食として存在する。
昨日あたりから、スマナサーラ長老の新刊「ブッダの幸福論」が
ネットでも買えるようになったようです。

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第199偈

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Happy indeed we live, free from avarice amidst the avaricious. Amidst avaricious men we dwell free from avarice.


[貪欲に]熱心である[欲界の]中で、熱心になることなく生きることは、実に幸福である。[貪欲に]熱心である人々の中で、[私たちは]熱心になることなく住す。

第198偈

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Happy indeed we live, unafflicted amidst those afflicted (by craving). Amidst afflicted men we dwell free from affliction.


苦悩が渦巻く[欲界の]中で、苦悩なく生きることは、実に幸福である。苦悩ある人々の中で、[私たちは]苦悩なく住す。

第197偈

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Happy indeed we live, friendly amidst the hostile. Amidst hostile men we dwell free from hatred.


怨が渦巻く[欲界の]中で、怨なく生きることは、実に幸福である。怨ある人々の中で、[私たちは]怨なく住す。
パーリ語では「カンマ」と言うみたいですが、「業(ごう)」についてのことを書きます。

私が高校生だった頃、日本ファルコムという会社から出ていたロールプレイングゲームのソーサリアンでカルマについて知りました。
調べてみますと、カルマという概念をゲームの中に最初に導入したのが日本ファルコムのザナドゥというゲームのようです。
基本的にゲームって敵を倒すことが目的ですけれど、倒してはいけない敵を倒してしまったりすると、カルマの数値が下がってしまったりして、ゲームが難しくなってしまうのです。
カルマの数値が変化すると、アイテムの値段や魔法をかけるのに費やす年数、レベルアップに必要な経験値、年収などに影響が出ます。
そんなゲームの経験も影響して、現実としても、経験値を増やすことも大事ですが、カルマもよい状態にしておくことが重要であることを自然なことと理解しました。
そして、わざわざゲームをしなくても、人として生きること自体がゲームそのものと思えるようになってきたので、PCとかゲームセンターのゲームとかは高校生くらいの時点でまったくやらなくなりました。

私は一時期、起業家になろう(自分で会社を作ろう)なんてことも考えたことがあったのですが、「わざわざ業を起こすなんて、どうなんだろう」なんて思うようになって、そういう熱からはさめました。
「企業家」なんて表現もありますけれど、それもまた「わざわざ業を企てるって、なんなんだ?」と捉えたりもしていました。
本来ならば、悪業だけでなく善業だってあるというのに、業というとなんとなく悪いイメージが付いてしまっていました。

まあ、いずれにせよ、ゲームからでも人生を学ぶことはできるわけです。
経験値を上げることも大事だけど、よいカルマの状態にしないと、よいエンディングをむかえることができない。
難しいゲームって、なるべくコンティニューしないで、エンディングまで行けるのが理想ですよね。
仏教でいうところの生きることも同じで、なるべくコンティニュー(輪廻)しないで、エンディング(解脱)に到達できるように精進するわけですね。
仏典というのはゲームの攻略本でしかないわけで…。

そんなわけで、ゲームが好きな人も、何かしらのきっかけがあれば、人生自体をカルマが働くロールプレイングゲームと再認識し、そのプレイを楽しむようにシフトしていくようになるといいんじゃないかなぁと思ったりもします。
He who pays homage to those who are worthy of veneration, whether they are the Buddhas or their disciples who have gone beyond preoccupying tendencies (craving, false views, and pride) and have rid themselves of sorrow and lamentation - the merit gained by such a person who pays homage to those who have been freed from moral defilements and have no thing to fear, cannot be measured by anyone, as this much or that much.


渇愛・邪見・高慢を超越し、憂愁と悲泣を乗り越え、何処からも恐れぬものがなく、[心は清浄にして]寂滅である。かくの如き尊敬と供養に値する諸ブッダを、あるいはその弟子たちを尊敬する人々の福徳は、これはこれくらいと何かによって[具体的に]目算することはできない。

第194偈

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Happy is the birth of the Buddhas; Happy is the enunciation of the sacred Teaching; Happy is harmony in the Order; and happy is the spiritual pursuit of the united truth-seekers.


諸ブッダが生起することは幸せである。正法を説くことは幸せである。サンガの和合は幸せである。[出家修行者たちが]和合して[修行を]おこなうことは幸せである。

第193偈

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It is hard to find a man of wisdom; he is not born everywhere nor in every clan. To whatever clan such a wise man is born, that clan prospers.


高貴な人を得ることは難しい。彼は一切処に生まれるわけではない。賢者が生まれる家は、安楽を得る。
Men, driven by fear, go for refuge to many places-to hills, woods, groves, trees and shrines. But such a refuge is not a safe refuge, such is not the refuge supreme. Not by resorting to such a refuge is one released from all suffering. He who has gone for refuge to the Buddha, his Teaching (Dhamma) and his Order (Sangha), penetrates with wisdom the Four Noble Truths-suffering, the cause of suffering, the cessation of suffering, and the Noble Eightfold Path leading to the cessation of suffering. This indeed is the safe refuge, this is the refuge supreme. Having gone to such a refuge, one is released from all suffering.


実に多くの人々は恐怖に駆られて、山あるいは森・園・樹・神社などに出掛け、心の拠り所とする。
しかし、これらは平安な心の拠り所とはならない。これらは最高の心の拠り所ではない。これらを心の拠り所にしても、一切の苦から解放されることはない。
仏陀・法・サンガを心の拠り所にする[人は]、正しい智慧によって四つの聖なる真理を観る。
すなわち、苦諦・苦の集諦・苦の滅諦・苦の滅に至る聖なる八つの道である。
これらは実に平安な心の拠り所である。これらは最高の心の拠り所である。そのような心の拠り所へ[避難して]こそ、一切の苦から解放される。
There is no satisfying sensual desires even with a rain of gold coins, for sense pleasures give little satisfaction and entail much pain. Having understood this, the wise man finds no delight even in heavenly pleasures. The disciple of the Supreme Buddha delights in the destruction of craving.


金貨の雨さえも、[人間の]欲求を満足させることはできない。快楽とは少楽にして苦痛のみであると、賢者は識知する。天界の楽しめるものにも彼[の心]に喜楽はなく、正覚者[=仏陀]の弟子は、渇愛の滅尽に楽しみをもつ。

第185偈

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Not despising, not harming, restraint according to the code of monastic discipline, moderation in food, dwelling in solitude, devotion to higher concentration-this is the teaching of the Buddhas.


[他人に対し]無非難にして加害せざる、あるいは[自分に対して]戒条を守る、あるいは食事に関して適量を知り、あるいは辺境の地を臥坐処とする、あるいは禅定に努力する、これが諸ブッダの教えである。

第184偈

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Enduring patience is the highest austerity. "Nibbana is supreme," say the Buddhas. He is not a true monk who harms another, nor a real renunciate who oppresses others.


忍辱は最高の苦行なり、涅槃は最高の[境地である]と諸ブッダは説く。実に出家者は他を害することはない。沙門は他人を困らせることをしない。

第183偈

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Not to do evil, to cultivate merit, and to purify one's mind - this is the teaching of the Buddhas.


一切の悪業をなさざること、前業を具足すること、自分の心を遍く清くすること、これが諸ブッダの教えである。

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