2008年4月29日アーカイブ
He, who sits alone, lies down alone, walks alone in diligent practice, and alone subdues himself should fine delight in living in the forest.
独り座り、独り臥床し、独り倦怠なく行く。独り自己を調御する[修行者は]、森林[での独居を]楽しむであろう。
独り座り、独り臥床し、独り倦怠なく行く。独り自己を調御する[修行者は]、森林[での独居を]楽しむであろう。
Like the Himalayas, the good are visible even from afar; like arrows shot in the night, the wicked are not seen even though they may be near.
ヒマラヤの山々の如く、善人は遠くより明らかとなる。[しかし]夜に投げられたる矢の如く、不善の人は[近くにいても]見えない。
ヒマラヤの山々の如く、善人は遠くより明らかとなる。[しかし]夜に投げられたる矢の如く、不善の人は[近くにいても]見えない。
スマナサーラ長老の講演会が終わり、徒歩で帰宅の途中、書店に立ち寄り、別冊コバルトなる本を買いました。
で、帰宅して開けてみてまずびっくりしたことは、「えっ!? マンガじゃないんだぁ!?」ってことでした。
4/11のGIGAZINEの記事で「マリア様がみてる」のスピンオフ作品、「お釈迦様もみてる」が登場というのを見たとき、
私は「『お釈迦様もみてる』はマンガだろう」と、勝手に情報を捏造しておりました。
まあ、とりあえず、読んでみましたが、私にはよくわかりません。
「ウホッ!」とか書いてあるのかと思ったのですが、出てきてません。今のところ。
私が唯一、「おぉ!!!」と思ったのは、
「君は、根っからの花寺っ子なんだな。普通、パーリ語の『三帰依文』を鼻歌では歌わないよ」
といったことが書かれていた周辺のみ。
ブッタン・サラナン・ガッチャーミーを鼻歌で歌うなんて人はいないと思う。
五戒文を鼻歌で歌ったことは私はあるけれど。
で、帰宅して開けてみてまずびっくりしたことは、「えっ!? マンガじゃないんだぁ!?」ってことでした。
4/11のGIGAZINEの記事で「マリア様がみてる」のスピンオフ作品、「お釈迦様もみてる」が登場というのを見たとき、
私は「『お釈迦様もみてる』はマンガだろう」と、勝手に情報を捏造しておりました。
まあ、とりあえず、読んでみましたが、私にはよくわかりません。
「ウホッ!」とか書いてあるのかと思ったのですが、出てきてません。今のところ。
私が唯一、「おぉ!!!」と思ったのは、
「君は、根っからの花寺っ子なんだな。普通、パーリ語の『三帰依文』を鼻歌では歌わないよ」
といったことが書かれていた周辺のみ。
ブッタン・サラナン・ガッチャーミーを鼻歌で歌うなんて人はいないと思う。
五戒文を鼻歌で歌ったことは私はあるけれど。
He, who is full of faith and sila, who also processes fame and fortune, is held in reverence wherever he goes.
信仰と戒を具足して、名声と富を有せる人は、各地を親しく訪ねるたびに、その土地[の人々から]尊敬される。
信仰と戒を具足して、名声と富を有せる人は、各地を親しく訪ねるたびに、その土地[の人々から]尊敬される。