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2008年1月18日アーカイブ

第148偈

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Fully worn out is this body, a nest of disease, and fragile. This putrid body breaks up, for death is the end of life.


肉体は老衰するものなり、やがて病巣となり、壊れ易い。[死後]身体は腐り、分解する。実に[人の]寿命は死を終とする。
スマナサーラ長老の本の新刊が登場です。
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ブッダの青年への教え
アルボムッレ スマナサーラ
国書刊行会 (2008/01/18)

第147偈

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Look at this dressed up body, a mass of sores, supported (by bones), sickly, a subject of many thoughts ( of sensual desire). Indeed, that body is neither permanent nor enduring.


見よ、この飾られた身体を! 瘡身で、[三百種の骨で]合成された肉の塊を! 病に犯され、いろいろな思惟[によって作り出された]この身体には、永遠に生存するものなど[一つも]ない。
なんでまたスマナサーラ長老に魅力を感じ、
テーラワーダを学んだりヴィパッサナーを実践しようと思ったのか、
そのあたりを整理してみたい。

まず私は「怒り」の傾向が非常に強いからです。
理屈では怒らないことが大事であることはわかるけれど、
何かと怒りを正当化してしまう私。
そんな私は書籍「怒らないこと」に出会い、
「怒り」自体がさらに細かく分類できること等を知り、
その怒りを理屈ではなく、
「慈悲の瞑想」とヴィパッサナーの実践により、
生じなくしてしまおうという、
そのアプローチが私にとって
非常に求めていたことだったのです。


さらに、スマナサーラ長老の複数の書籍を読んで行くと、
「日本仏教は仏教(ブッダの教え)ではありません!」
とか
「仏教は宗教ではありません!」
といったことが書かれており、
これは富永仲基が言っていた「大乗非仏説」と同様のことであることに気付きました。


日本文化に興味を持ち、
しばしの間、京都に住んでいた私にとっても、
建物(ハードウェア)としての寺社仏閣の凄さはよくわかりましたが
そのソフトウェアというかコンテンツ(中身)に疑問を持ち、
「いったい何が大切な伝統なのだろう」
と思うようになり、
結局、インターネットの無い時代に、
伝言ゲームで、
途中に中国を経由したりして伝わった内容なので、
それらが京都に到着した時点で、
かなり違う話になってしまったり、
善意によって日本風土にカスタマイズ(ローカライズ)したこと等により
本質からかけ離れてしまったんだと思うのです。
それは避けられなかったというか。


だけど、
このインターネットのある時代に、
リアルな活動として、本来のブッダの教えと実践方法を
日本語でわかりやすく教えてくださるスマナサーラ長老の存在は
非常にありがたいです。

学校の歴史の時間では、
聖徳太子が仏教を日本に広めたとして習いましたが、
そうではなくて、
やっと最近になって本当の仏教伝来が実現されてきたわけです。


「利他」的な発想・実践は非常に大事ですけれど、
まずは、自分自身が整わないことには、他者を助けるようなことは無茶な話。

ワンピースの何で、Dr.くれは が チョッパーにこんなことを言うシーンがありました。

「いいかい!優しいだけじゃ人は救えないんだ!!人の命を救いたきゃそれなりの知識と医術を身につけな!!!腕がなけりゃ誰一人救えないんだよ!!!!」
私はこの言葉に非常に共感しました。
テーラワーダは、この発想に近いように思うんです。

Eee PCに続いて、MacBook Airも注文しました。
来月は引っ越しもあるし、いろんな意味で環境をガラリと変えます。
  1. 貪欲
  2. 瞋恚
  3. 愚痴
  4. 肉体的苦痛

第146偈

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When this world is ever ablaze, why this laughter, why this jubilation? Shrouded in darkness, why don't you seek the light?


[この世は]常に燃えているのに誰が笑うのか? 何故に歓喜するのか? [無知無明という]暗黒に覆われているのに、[智慧という]燈明を探し求めないのか?
先週、東京に向かった際、友永ヨーガ学院にも立ち寄りました。
向かう前に場所とか、ちょっとしたバックグラウンドを知ろうと、ホームページを見ていたら、
こんなのを見つけてピンときました。

tenpuu.JPG









中村天風というと、以前、私が東京に住んでいたとき、
矢野弾先生の下で帝王学を学んでいたのですが、
安岡正篤とともに、日本で会社経営をしようと思う人がよく読んだりする偉人の方。

私の印象では、どうしてもワンピースに出てくる Dr.ヒルルク と中村天風が重なってしまうのですが。
Dr.ヒルルクとは、不治の病を患う元大泥棒のヤブ医者。そして、チョッパーの育ての親。
医術のスキルはまったく無いが、心がとんでもなく広い。

中村天風との共通点は、

  • もともと悪党で、
  • 大病を患い、
  • その治療のために旅をするが手立てが見付からず
  • とあるきっかけで奇跡の復活をし、
  • その後、その生き方に影響を受ける人間がより大きなことをしていく。
といったところ。

中村天風の大病からの復活はカリアッパ師と出会い、ヨーガの実践をしたことによりますが、
Dr.ヒルルクの場合は、キレイな桜を見て感動して、不治の病が治まった。

どちらにしても、自然の法(ダンマ)を覚ったことによる復活のパターン。



私自身も大病を患いつつ、
復活するということを今回の人生でも何度か繰り返しているので、
親近感を感じるんですよね。


で、この本を調達し、
ちょうど昨日、読み終えたところです。

尿管結石でとんでもない痛みを経験した私ですが、
身体と心を完全に分離できるようになりたいなぁと思いました。




ヨーガに生きる―中村天風とカリアッパ師の歩み
大井 満
春秋社 (1988/07)
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おすすめ度の平均: 4.5
5 感動!感動!とっても感動しました。
5 地の声・天の声
5 ヨーガとは自分を正しく知り平安を得る道

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