2008年1月12日アーカイブ
Though one should live a hundred years not seeing the Truth Sublime, yet better, indeed, is a single day's lfe of one who sees the Truth Sublime.
最高の法を観ないで、たとえ百年生きるよりも、最高の法を観て一日生きる方が、よりすぐれている。
最高の法を観ないで、たとえ百年生きるよりも、最高の法を観て一日生きる方が、よりすぐれている。
Though one should live a hundred years without seeing the Deathless State, yet better, indeed, is single day's life of one who sees the Deathless State.
不死の境地を観ないで、たとえ百年生きるよりも、不死の境地を観ながら生きる一日の方が、よりすぐれている。
不死の境地を観ないで、たとえ百年生きるよりも、不死の境地を観ながら生きる一日の方が、よりすぐれている。
Though one should live a hundred years without comprehending how all things rise and pass away, yet better, indeed, is a single day's life of one who comprehends how all things rise and pass away.
[五蘊の]生滅を観ないで、たとえ百年生きるよりも、[五蘊の]生滅を観ながら一日生きる方が、よりすぐれている。
[五蘊の]生滅を観ないで、たとえ百年生きるよりも、[五蘊の]生滅を観ながら一日生きる方が、よりすぐれている。
Though one should live a hundred years idle and inactive, yet better, indeed, is a single day's life of one who makes an intense effort.
懈怠で不精進な人が、たとえ百年生きるよりも、確固たる[心で]精進に励む人が一日生きる方が、よりすぐれている。
懈怠で不精進な人が、たとえ百年生きるよりも、確固たる[心で]精進に励む人が一日生きる方が、よりすぐれている。
Though one should live a hundred years without wisdom and control, yet better, indeed, is a single day's life of one who is wise and meditative.
智慧がない不寂静な人が、たとえ百年生きるよりも、智慧を有する禅定の人が一日生きる方が、よりすぐれている。
智慧がない不寂静な人が、たとえ百年生きるよりも、智慧を有する禅定の人が一日生きる方が、よりすぐれている。
Though one should live a hundred years, immoral and uncontrolled, yet better, indeed, is a single day's life of one who is moral and meditative.
破戒と不寂静の人が、たとえ百年生きるよりも、持戒と禅定の人が一日生きる方が、よりすぐれている。
破戒と不寂静の人が、たとえ百年生きるよりも、持戒と禅定の人が一日生きる方が、よりすぐれている。
For one who is in the habit of constantly honouring and respecting the eiders, four blessings increase -age, beauty, bliss, and strength.
丁寧な挨拶が習慣となり、常に年長者を尊敬することによって、寿命、美貌、安楽、力という四つの法が増大する。
丁寧な挨拶が習慣となり、常に年長者を尊敬することによって、寿命、美貌、安楽、力という四つの法が増大する。
In this world whatever gift or alms a person seeking merit should offer for a year, all that is not worth a single quarter of the reverence towards the Upright which is excellent.
この世において福徳を望み、[火神に]犠牲や何ものかを一年献上しても、正行の人を丁寧に挨拶をする方が、よりすぐれている。たとえ[火神に一年供養を]しても、その全部は四分の一にもならない。
この世において福徳を望み、[火神に]犠牲や何ものかを一年献上しても、正行の人を丁寧に挨拶をする方が、よりすぐれている。たとえ[火神に一年供養を]しても、その全部は四分の一にもならない。
Though, for a century, a man should tend the (sacred) fire in the forest, yet, it, only for a moment, he should honour (a saint) who has perfected himself, -that honour is, indeed, better than a century of fire-sacrifice.
森の中で火神に百年奉仕するよりも、自ら修正せる、尊敬供養されるべき人に、寸時の間でも供養する方が、百年の祭祀よりも、よりすぐれている。
森の中で火神に百年奉仕するよりも、自ら修正せる、尊敬供養されるべき人に、寸時の間でも供養する方が、百年の祭祀よりも、よりすぐれている。
Though, month after month with a thousand, one should make an offering for a hundred years, yet, if, only for a moment, one should honour (a Saint) who has perfected himself, -that honour is, indeed, better than a century of sacrifice.
月々、千の祭司を百年おこなうよりも、自ら修習せる、尊敬供養されるべき人に、寸時の間でも供養する方が、百年の祭祀よりも、よりすぐれている。
月々、千の祭司を百年おこなうよりも、自ら修習せる、尊敬供養されるべき人に、寸時の間でも供養する方が、百年の祭祀よりも、よりすぐれている。
Victory of self is far better, than people of the remainder, a man who is self disciplined, restraint ever conducts him. Not a god or the gandhaba, not the Mara with Brahma, makes defeat of a victory, of a being of such quality.
実に他の人々に[勝つよりも]自己に打ち勝つ方が、よりすぐれている。常に自制しながら行動する、自己を調御されたる、そのような人の勝利は、神も、天の伎楽神も、悪魔も、梵天も共に、敗北させることはできない。
実に他の人々に[勝つよりも]自己に打ち勝つ方が、よりすぐれている。常に自制しながら行動する、自己を調御されたる、そのような人の勝利は、神も、天の伎楽神も、悪魔も、梵天も共に、敗北させることはできない。
Though one should conquer a million men in battlefield, yet he, indeed, is the noblest victor who has conquered himself.
戦場において幾千の敵に勝つよりも、独り自分自身に勝つ人、彼こそ実に最上の戦勝者である。
戦場において幾千の敵に勝つよりも、独り自分自身に勝つ人、彼こそ実に最上の戦勝者である。
先日、今年最初の東京出張の際に、新大阪駅でふと目に入った週刊ダイヤモンド。
「寺と墓の秘密 誰も知らない巨大ビジネス」という特集。
早速購入し、新幹線車内で読みました。
スマナサーラ長老らによって、
「日本仏教は仏教(ブッダの教え)ではない!」
ということが、徐々に日本でも浸透してきていると思える昨今、
日本仏教の寺のシステムとは、
そして、FCには加盟しないで、個人で動くお坊さんも出てきたのが今。
逆に、破綻しそうなFCビジネスというのは、
日本仏教における寺のシステムと同様の問題が起きていることが予想される。
日本仏教には、SVに相当するような方がいるのかどうかは私はわかりませんが、
巨大組織となって、
その組織の維持あるいは数量的に増加させることに執着するようになると、
破綻に向かっていくということのように思える。
「街のコンシェルジュ」が本来のお坊さんの姿だと思う。
有名な看板のお店よりも、
しっかりした人が経営しているお店を利用したい。
「寺と墓の秘密 誰も知らない巨大ビジネス」という特集。
早速購入し、新幹線車内で読みました。
スマナサーラ長老らによって、
「日本仏教は仏教(ブッダの教え)ではない!」
ということが、徐々に日本でも浸透してきていると思える昨今、
日本仏教の寺のシステムとは、
○○宗(本山) → FC本部という具合になっていて、FC本部の機能がかなり破綻しているような状況かと。
寺 → 加盟店
檀家 → 顧客
そして、FCには加盟しないで、個人で動くお坊さんも出てきたのが今。
逆に、破綻しそうなFCビジネスというのは、
日本仏教における寺のシステムと同様の問題が起きていることが予想される。
日本仏教には、SVに相当するような方がいるのかどうかは私はわかりませんが、
巨大組織となって、
その組織の維持あるいは数量的に増加させることに執着するようになると、
破綻に向かっていくということのように思える。
「街のコンシェルジュ」が本来のお坊さんの姿だと思う。
有名な看板のお店よりも、
しっかりした人が経営しているお店を利用したい。