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2008年1月 5日アーカイブ

第73偈

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The fool bhikkhu will desire undue reputation, precedence among monks, authority in the monasteries, and honour among other families.


愚かな比丘は不実の賞賛を欲し、[比丘の間において]従う者を欲し、又[僧院内においては]主権を欲し、さらに他家から供養を欲す。

第72偈

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To his ruin, indeed, the fool gains knowledge and fame; they destroy his bright lot and cleave his head.


愚者の知能[や技術]が生じても、[自分の]利益にならない。[その技術は]愚者の幸運を破壊し、彼の頭を切り落とす。

第71偈

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Verily, an evil deed committed does not immediately bear fruit, just as milk curdles not at once. Smoldering, it follows the fool like fire covered with ashes.


実に、為した悪業は、牛乳のように直ちに変化しない。[しかし]灰に蓋われた[炭]火のように、[悪業の]煩熱が愚者を苦しめついて行く。

第70偈

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Month after month a fool may eat only as much food as can be picked up on the tip of a blade of kusa grass, but, he is not worth a sixteenth part of them who have comprehended the Truth.


愚者が月々吉祥草の葉先ほどの食べ物を食べる[苦行を]しても、[仏陀の説かれた]法の察悟者の[徳に比べれば]16分の1にも値しない。

第69偈

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As sweet as honey is an evil deed, so thinks the fool so long as it ripens not; but when it ripens, then he comes to grief.


愚者は[自分がなした]悪行[の異熟]がもたらされない間は、[悪行を]蜂蜜のように思う。そして悪行[の異熟]がもたらされる時、[愚者は]苦痛を受ける。

第68偈

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That deed is well done when, after having done it, one repents not, and when with joy and pleasure, one reaps the fruit of it.


[ある行為をなした後]苦しみ悩むことがなく、その行為の異熟に満足して、良い意で受ける、そのような業[=行為]は善い。

第67偈

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That deed is not well done if one has to repent for having done it, and if, with a tearful face, one has to weep as a result of that deed.


[ある行為をなした後]苦しみ悩む、その行為の異熟を顔に涙を流して泣きながら受ける、そのような業[=行為]は善くない。
  1. 信仰
  2. 悪行への恥じ
  3. 悪行への恐れ
  4. 智慧

第66偈

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Fools of little wit move about with the self as their own enemies, doing evils deeds, the fruit of which is better.



智慧のない愚者たちは、[自分の]敵のように、[後に]辛い結果をもたらす悪業を自身にておこない続けている。

第65偈

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Though an intelligent person, associates with a wise man for only a moment, he quickly understands the Dhamma as the tongue (tastes) the flavour of soup.


智者はほんの僅かな[間]賢者に近づき尊敬するだけで、[仏陀が説かれた]真理[=法]を瞬時に識知する。ちょうど舌がスープの味を[知る]ように。

第64偈

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Though a fool, through all his life, associates with a wise man, he no more understands the Dhamma than a spoon (tastes) the flavour of soup.


愚者は寿命が[終わる]まで賢者に近づき世話をしても、[仏陀の説かれた]真理[=法]を識知することない。ちょうど匙がスープの味を[知らない]ように。
六種の悪友
  1. 賭博者
  2. 道楽者
  3. 大酒飲み
  4. 詐欺師
  5. 誤魔化し屋
  6. 粗暴者

悪友との親交による八種の過失
  1. 多くの事件を起こす。
  2. 人を破滅させる。
  3. 人を堕落させる。
  4. 財産や名声が減少する。
  5. 借金生活に堕ちる。
  6. 家庭を破壊する。
  7. 自分の利益が去って行く。
  8. 自分の幸福を逃す。

第63偈

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The fool who knows that he is a fool is for that very reason a wise man. The fool who thinks that he is wise is called a fool indeed.


[自分の]愚かさを思量する愚者は、それ故、彼は賢者である。自分は賢いと思う愚者こそ、実に彼は[本物の]愚者と言われる。

第62偈

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"Sons have I; wealth have I" : Thus is the fool worried. Verily, he himself is not his own. Whence sons? Whence wealth?


『わたしに子供がいる。わたしには財産がある』と[思い]、愚者は悩害される。実に自分すら自分のものではないのに、いかなる理由で子供が、いかなる理由で財産が[自分のものであろうか]。

第61偈

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It a person seeking a companion cannot find one who is better than or equal to him, let him resolutely go on alone; there can be no companionship with a fool.


もし、自分より勝れ、[又]自分と等しい人を歩き[求めて]得ることなければ、確固たる[心で]自分独りで修行せよ、愚者と親交するな!

第60偈

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Long is the night to the wakeful; long is the league to the weary; long is samasara(rebirth) to the foolish who know not the Sublime Truth.


眠られぬ人にとって夜は永い。疲れた[旅人]にとって一ヨジャナは長い。正法に無知である愚者にとって輪廻は永い。
午前中はジムでヨガをして、
その後は部屋の片づけをし、
2回ほど本を売りに行きました。違うお店に。

まだまだ本が多い私の家ですが、
強引に分類すると、
  • Webプログラミング系
  • テーラワーダ仏教系
のような感じとなりました。

ワンピースは全部売ってしまいました。
DVDは京都から大阪に引っ越す際に売りましたが、
コミックは先ほど売ってきました。

マンガ喫茶があるのですから
わざわざ所有する必要などないのです。

家に残す本は結局、大衆向けではない専門的なものばかりとなるわけで。

ワンルームの部屋に引っ越すことができるくらいに
モノを少なくすることを目標に、
どんどん捨てて(売って?)いきたいです。
ネットで検索してみると、

・日本人が行けるミャンマーのヴィパサナー瞑想道場と仏教大学
http://hachisu-net.com/issei/doujou.html

・世界の仏教情報
http://www.geocities.jp/bodaijubunko/a4.jijou.htm

あたりが、ミャンマーの瞑想センターに関する情報へのリンクとして
非常に有用と思いました。


先日、はじめて、ウ・コーサッラ西澤師にお会いした際、
ちょうど、ミャンマーの仏教大学に留学したいという女性がおり、
そのときのこの大学の話もいろいろ聞いた私としては
まったく大学には興味が無い。

とりあえず、
ヤンゴンのマハシなりチャンミなりの瞑想センターを候補として考え、
観光がてらの体験瞑想みたいなのに参加することを考えたいと思う。

が、
地橋先生に久々に会って、
「いきなりミャンマーとかに行くのは無謀でしょうか?」
といった質問をさせていただいたところ、
無謀であることと、日本で合宿に参加することを勧められました。

なんとなく、
ゴエンカ式ではなくて、マハシ式のほうでやっていきたいと私は思っているので、
日本で合宿ができるのは、
  • グリーンヒル瞑想研究所@東京・八王子 10日間 地橋先生
  • 日本テーラワーダ仏教教会@熱海 4泊5日 スマナサーラ長老
  • 上座仏教修道会@茨城県鉾田市 不明 ニャーヌッタラ長老
くらいかと。

一番手頃なのが熱海の合宿なので、
昨年末に1月末からの合宿について、
往復はがきで申し込みをしたのに、
完全に音信不通となっている状況。

痒みの克服もままならないような人間は
合宿に参加する以前のレベルということで
見えない壁だか業の影響でこんなことになっているんだろうなぁ…。

上座仏教修道会の次の合宿はたぶんゴールデンウィークの頃。

となると、
定員9名で料金も高めのグリーンヒルに参加するのが妥当か…。

いずれにせよ、
合宿に参加しても無駄にならない程度の基礎はできている状態に
自分を調える費用があるわけで…。

まだまだミャンマー行きは遠いです。
昨年(2007年)の最初の頃だったと思います。
スマナサーラ長老の「怒らないこと」という本を買ったのがきっかけで、
テーラワーダ仏教ヴィパッサナー瞑想に興味を持ち始めました。

・楽天ブックス


・アマゾン
怒らないこと―役立つ初期仏教法話〈1〉 (サンガ新書) (サンガ新書)

この本を読むまでの私は、
ヴィパッサナー瞑想は、
「京都の山奥でやっている場所がある」くらいのことは知っていて、
「慈悲の瞑想」の「慈悲」というコトバが生易しいと感じていました。

そして、
関西だと伊丹でスマナサーラ長老にお会いできるということを知り、
去年の春に瞑想会に参加。

そういえば、
スマナサーラ長老にお会いする2週間くらい前には、
大阪府吹田市の地橋先生の瞑想会に参加もし、
そこで「痒み」についての質問なんかもしていました。
(しかし、その後、私が吹田市に引っ越すことになるとは意外な展開)

スマナサーラ長老は、
本の中、そして実際にお会いして、
怒らないことという本を書いておきながら、
この人、怒ってんじゃん! それも変な日本語で!」
と思い、親近感を感じました。

午前中は法話をお聞きし、
午後からヴィパッサナー瞑想の練習。
初めて参加した人は経験者とは違う部屋へと向かい、
そこでスマナサーラ長老からやり方を教えてもらいます。

私はもともと痒がりなのですが、
さらにトイレに行くタイミングを逃してしまっていて、
どのタイミングでトイレに行くべきか焦りつつ、
スマナサーラ長老のレクチャーを受けました。

みんなそれぞれが歩く瞑想、立つ瞑想、座る瞑想を集中しはじめたとき、
私はササッとトイレへと向かい、ササッと戻りました。

時間となり、
瞑想をしてみてどうだったか?
といったインタビューの時間となりました。
私はスマナサーラ長老に怒られました。
怒られたというか、強い口調で指摘をされました。
「みんなが真剣にゆっくりやっているときに、
 ササッと動いてしまうのは台無しですよ!」
みたいなことを言われていたような気がします。実際のお言葉は失念してしまいましたが。

私は、
「スマナサーラ長老は黙って目を瞑って瞑想してたはずなのに、
私がササッと動いたことがよくわかったなぁ…、
やっぱ、悟ってる人なのかなぁ…。」
なんて思いつつ、
この人には付いていきたいなぁと思い、
著作物のほとんどは入手し、読むようになりました。

その後、
定期的ではありませんが、
スマナサーラ長老の瞑想会に足を運びつつ、
大阪に引っ越すことになりました。

本ばかり読んでいて、
瞑想の実践がほとんどできていない私は、
「これはひとまず合宿とかに参加したほうがよさそうな…」
とか思い、情報収集をしているうちに、
mixiのとあるコミュニティの中で
ウ・アローカ(鈴木一生)さんが、
ミャンマーでの瞑想について興味を持っているけれど
いろいろと不安をお持ちの方に対し、
「とりあえず1ヶ月ほど、ミャンマーに行ってみては?」
といった回答をされていました。

ちなみに、
ウ・アローカさんは、
スマナサーラ長老とともに、
日本テーラワーダ仏教教会を立ち上げた方。

それを見て私も、
「よし、ミャンマーだ!」
と思い、

とか

を買ったりしていたところ、

ミャンマーで日本人ジャーナリスト、撃たれる!

という出来事が発生し、
ミャンマー行きが遠のいてしまいました。

12/21に外務省によるミャンマーへの渡航情報が

「十分注意してください。」(引き下げ)

に変更となっていたようなので、
改めて情報収集を再開したところです。


というわけで、
私は、ミャンマーに瞑想をしに行きたいのです。

第59偈

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So among this rubbish of beings, the mentally blind worldlings, the deciple of the Buddha shines by wisdom.


このようなゴミ山に似た盲目(=無知)である凡夫の中で、正自覚者[=仏陀]の弟子は智慧をもって光りかがやく。

第58偈

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Even from the heap of refuse, cast by big street as of no use, there does the lotus bloom, with pure perfume and satisfying people's mind.


ちょうど大通りに捨てられたゴミの山に、清い香りを放つ喜ばしき蓮の花がそこに咲く如く、

第57偈

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Mara does not fine the path of those who are virtuous, heedle in living, and freed by perfect knowledge.


戒律を具足して、不放逸な生活を送り、完全なる智慧によって[煩悩から]解脱している人の[歩む]道を、悪魔は見ることはできない。

第56偈

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The fragrance of tagara or sandalwood is of little account; the fragrance of the virtuous, which blows even among the gods, is supreme.


これらタガラや白檀の香りは僅かである。[しかし]具戒者の香りは、神々の間にも広がり、最上である。

第55偈

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Sandalwood, tagara, lotus, jasmine: above all these kinds of fragrance, the perfume of virtue is by far the best.


白檀、タガラ、沼の水蓮、あるいはジャスミンなどこれら香りが生じるものの中で、戒めの香りこそ最高である。

第54偈

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The perfume of flowers does not blow against the wind, nor does the fragrance of sandalwood, tagara and jasmine, but the fragrance of the virtuous blows against the wind; the virtuous man pervades every direction.


花の香りは、風に逆らわない。白檀、タガラ、ジャスミンもまたしかり、善き[人の]香りは、風に逆らって[行く]。善人は、すべての方角に対して香りを放つ。

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